プロフィール~中沢智之

中沢智之(なかざわ ともゆき)
日本販売促進サポート株式会社代表取締役
著書「販促はじめの一歩」同文舘出版、「お金をかけずにやれる販促73のアイデア」セルバ出版。
1964年栃木県出身。
小さなお店の販売促進を研究して37年、のべ10,000人の店長さんにかかわる中で、店長さんが自分らしい仕事を生き甲斐として楽しく暮らしていける環境作りの一つとして小さなお店の販売促進を広める活動をしています。

小さなお店の販売促進で目指したいこと

全国の小さなお店の店長さんが自分らしい仕事で生きていけること
そのために小さなお店に適した販売促進を広める活動をしています

昭和の「大きなことは良いことだ」が間違いだった

小さなお店は、その店長さんの人生であり、生き様です。
売上が上がれば楽しい、町のみんなに頼りにされれば嬉しいです、には売上の増減で、店長さんとその家族の生活が決まってしまいます。
そんな人生を左右するお店の売上ですが、残念なことに小さなお店に適した売り上げの増やし方は、長いこと隠されていました。

どこに隠されていたかというと、昭和の時代に流行った「大きいことは良いことだ」という風潮の陰に追いやられていました。

1万円売るお店より、1億円売るお店の方が正しい!みんながそんな考え方になっていましたので、頑張る店長さん達はみんな大型店の勉強をしました。
学校は、小~中~高~大と、小学校からはじめて大学に行くのはわかりますが、お店は、小さくはじめて大きくなるものではないし、大きくなれないから小さいわけではないのです。

それなので、勉強し大型店のやり方を学んで取り入れるほど、小さなお店は潰れていきました。
なぜなら、小さなお店と大型店では、必要なことが全く違うからです。

大型店と小さなお店は違うことに気が付き始めた平成

そのような大型店と小さなお店の違いに、気が付き始まった平成の時代。
それでも、今までと違う方向へ歩き出すには勇気がいる、せっかくの成功事例も「変なことを始めた人がたまたま売れただけでしょ」と片付けられてしまうことが多かったのです。

それでも、平成の30年間で、本屋さんの棚にも小さなお店向けのビジネス書が少しずつ増えてきました、やっと小さなお店には小さなお店の活き方があるのだと、世の中が動き始めたのを感じます

昭和の考えでは、お店の定休日は少ない方が勤勉で、なるべく早い時間から遅い時間まで営業しているのが正しいというような感覚がありました。
平成の後半になると、家の都合に合わせて週に3日間、2時間を営業します、というようなお店が増えてきて、お客様もそれを認め始めた感じがあります。

私はそんな流れを見ながら、小さなお店の時代がやってきたと喜びつつも、それが主流になり全国の街で小さなお店が活気づき、商店街の復活などが具体的に進み始めるまでには、まだ10年ぐらいかかるのかとも思います。

令和は小さなお店の時代です

生活が個性化し、人口減少が顕著になるこれからは、小さなお店の時代が来るでしょう
昔ながらの小さなお店は店長の個性のかたまりで、個性があったからこそ選ばれて、住み分けもできていたのです。
出来ていたと過去形なのは、昭和の中期までは、小さなお店が、町の中で店長の個性を発揮していましたよね!と言っても、昭和39年生まれの私には、小学生くらいまでの記憶に残っているだけです。

ベテラン主婦に囲まれた新米八百屋

スーパーマーケットで働き始め、青果部門の野菜売り場に配属になりました。
普通は、店員さんがお客様に「この野菜はこうやって食べてね」と教えながら売るものですが、現実は20歳そこそこの店員である私と、主婦歴何十年というおばちゃんがお客様という、想像とは全く逆の立場でした。
そういうこともあって、販売の理論やシステム的に販売するようなことに逃げるしかないじゃないですか(笑)
バリバリ勉強をしました、本を読んだり大型店を視察に行くことも積極的にやりました。もちろん、そこから得た知識が、当時も現在も役に立っているのですが、小さなお店に必要なことはそれらばかりではなく、むしろ、売上を減少させてしまう原因にもなると気が付かされたのが、私が名付けた「メキシコカボチャ事件」です。

メキシコカボチャ事件は惨敗から始まった

当時、青果市場への仕入れも積極的に行きました、そこで見つけたのが、日本で生産したカボチャの種を、それの栽培に一番適した産地を探した結果、メキシコで日本人が指導しながら生産している・・・と、私が大好きな理屈っぽい説明が長々と付いているカボチャでした。
そのうんちくを、市場帰りの車の中で私なりにまとめて、お店に戻るとPOPなどを書いてくれる販売促進部にお願いに行きました。担当の方が「ふっ」と笑いをかみしめて、私が提案したウンチクいっぱいのPOPと一緒に、試しにこれも使ってみてねと、メキシコカボチャに適した調理方法を描いたPOPも作ってくれました。

1日目、ウンチクPOPを売り場に貼って売り込みをかけるも惨敗。
2日目、調理方法のPOPに張り替えたら昨日の数倍売れてしまう

さらに、お客様のおばちゃんが、そのPOPと別の調理方法を教えてくれたので、それをPOPにしてみたら大好評。

メキシコカボチャ事件から学んだこと

一つは、ウンチクよりも、お客様に近い情報が必要!
お客様は、栽培方法がどんな方法であれ、美味しければ買うし、不味ければ買わない。それだけのことだったのです。
栽培方法などのこだわりが必要ないということではなく、それはカボチャが美味しい理由なので、必要な時に見せるぐらいがちょうど良かったようです。

もう一つは、自分が教える立場になるより、情報のハブになればよいということ。
お客様の美味しかった経験は、お客様の喜びです。
お客様の喜びを教えていただくと、それだけでお客様は嬉しいということ、さらに、その喜びを他のお客様に共有すると、両方のお客様が嬉しいということ。
インターネットもSNSもなかった時代ですが、楽しいことにイイネを付けたり、シェアしたりするということ、やっていることは同じですね。

大型店が「小さなお店を潰すまで戦う」と言っていた

県内にも大型店やチェーン店の進出が始まった頃、青果市場で感じた悔しさがありました。
例えば、春キャベツの時期には、春キャベツを売り込むわけで、そこで、市場の担当者さんへいろいろ交渉するわけですが、大型店の仕入れ量は半端じゃないので、大型店が買った残りを小さなお店が分けあう感じがあり、もうそこに小さなお店の希望はありませんでした。
大型店の仕入れ担当者は、我々に直接は言いませんが「近隣の小さなお店が潰れるまで徹底的に戦って、そのあと利益を出せばいい」というような話をしているのを耳にして、どうにもならない悔しさを感じたものです。

小さなお店が潰れた後にこの街はどうなっている?

冷静に考えてみると、小さなお店が潰れるということは、その地域の購買力が無くなっていくということです、その先、地域の経済はどうなり、大型店は儲け続けることができるのでしょうか?
私は、大学が経済学部だったにも関わらず、経済の勉強をあまりしてこなかったことに後悔しましたが、それでも気が付いたことがあります。
我々は、ローカルスーパーという立場で、大型店にすればちっぽけな存在でありますが、その大きさの暴力は、自分たちも地域の個人商店に感じさせてきたことは間違いないということです。

近江商人の心得「三方良し」

近江商人の心得から、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」とは誰もが聞いたことがある言葉ではないでしょうか。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。

儲けるために他のお店や地域を犠牲にすることを目にする身の回りの状況を見て、三方良しの可能性を強く感じました

「三方良し」と「釜石の奇跡・津波てんでんこ」

「三方良し」を考えていく中で「てんでんこ」という言葉を思い出しました。
大学時代を岩手県で、オートバイと共に過ごした毎日、リアス式海岸と呼ばれる美しい海沿いを走る機会もありました。
そんな時に、浜からけっこう登ったところに、「津波」や「てんでんこ」という内容の石碑があることを発見しました。振り返って海を見下ろすと、海面ははるか下の方にあり、津波がここまで来るとは考えられない高さですが、それらは過去に津波が到達した高さなのです。
調べてみると、漁村が全滅したリ、生き残ったのが二人だけという村もあったと聞き、津波の恐ろしさを知りました。
長年の知恵として津波が来るような地震があったら、一人一人が全力で、先ほどの石碑より高いところへ逃げること、それが津波てんでんこということもわかりました。

後の、東日本大震災で「釜石の奇跡生存率99.8%」という、他の地域に比べて被害を最小限に抑えることができた行動こそが、「津波てんでんこ」でした。

小さなお店のてんでんこ

「三方良し」の「世間良し」を、みんなで手をつないでいれば大丈夫と捉えるのではなく、てんでんこのようにそれぞれが全力で走ることだと、私は捉えています。
小さなお店の店長さんは「周りのお店でもまだやってない」という理由を付けて行動しない場合があります。
しかし、私はおすすめします、誰よりも先に走り出すことです、その行動こそが自らを助けるだけではなく、他の店長さんを走りださせる動機になるからです。

津波てんでんこの4つの教えが、小さなお店の販売促進にピッタリ同期するので紹介いたします。
(1)自助の重要性
基本は自分の身は自分で守る、自助・共助・公助の真っ先に来るのは自助です。
(2)他人の避難行動促進
一人の逃げる行動が周囲の人に注意喚起になる。
(3)信頼性の構築
一人で逃げることが最善の方法だと共有する
(4)自責感の低減
万一の犠牲に対しての罪悪感を減らすことができる

津波が、大型店やチェーン店などの競合、増税などの政策、時代の変化と考えると、小さなお店の店長が真っ先に走り出すことが、自分を助け、周りのお店の店長が走るきっかけになり、一人だけ儲けるつもりだと勘違いされることなく地域のためだと認識される。
このような考え方が小さなお店の販売促進だと根付いてくれることを早急に願います。
なぜなら、今も、小さなお店にとっての津波のような脅威が絶えず押し寄せている最中だからです。

小さなお店の売り場は店長の意思表示

さて、スーパーマーケットの話に戻ります。
売り場を作る&売り場を変える、この作業で売上を作ることができると確信しました。

短期的には、季節や流行などを含めて、今のタイミングでお客様がより沢山喜べる商品を売ること。また、より沢山喜べる方法を教えることで、売上を増やすことができました。

長期的には、店長の意思表示が売り場であるということ。販促ツールが沢山あっても最終的には、お客様が喜ぶのも、売上を作ることができるのも売り場しかありません。

絵日記のように売り場を楽しめる小さなお店

毎日のように売り場を作っている店長がいました、その様子はまるで子供の絵日記です。
穏やかなら赤い太陽を描く、風が吹けば冷たい色の線を描く、人が歩けば足元にポコポコと表現する、そんな感覚で、今日は暖かいからこの商品はここに~なんて、毎日の絵日記のように売り場を楽しんでいます。
そのような売り場ですから、お客様も楽しいですし、今日はどうなってるかな?という楽しみにもなります。

大切な人へのプレゼントを決める時に、贈る人は受け取る人の喜ぶ顔を想像するのが楽しいですよね。売り場を作るのは、大切なお客様へのプレゼントを用意するのと同じ作業なのです。

ホームページ作成で起業しました

私は、スーパーマーケットで、全部門と店長もやりながら、約12年働かせていただいたのち起業しました。
当時インターネットが大流行すると言われ、これからはホームページが必要になる時代が来るということでしたので、12年間の販売の実務と知識、小さなころから得意だった写真、ホームページ作成とチラシやPOPなどの販促物を作成していこうと考えました。

起業当初にいくつかポンポンと良い仕事が決まるというのは、起業家にありがちな話で、その通りになりました。後から考えると、真っ先にホームページが必要だと判断するような店長さん達ですから、仕事もスムーズで、内容的にも充実した楽しいお仕事でした。

小さなお店の販促力は絶対的に不足していた

しかし、間もなく、小さなお店の現実にぶつかることになります。
ホームページやチラシの依頼をいただいても、全く話が進められないのです。その理由は、小さなお店の店長さんたちが、販売促進など見たことも聞いたことも無く、何をすれば売れるのか想像もつかない状況で、ホームページやチラシに書くべき言葉の一つも出てきませんでした。

考えてみると、販売促進を勉強する機会もなかったのですから仕方がありません、販売促進の説明を先にしなければ、ホームページやチラシの作成が進まない状況が続いたために、販売促進の説明の部分が次第に独立して、講習会・セミナー・コンサルティングの仕事が必要になりました。

小さなお店の店長が学ぶべきことは小さいお店のこと

販売促進のことが全く分からない、勉強する機会がなかった店長さんとは違い、自ら勉強を進めていた店長さんたちもいましたが、それも一筋縄では進められませんでした。
私も経験したのでわかりますが、当時は勉強しようとしても、販売促進系は資料が全く無い状況で、どうしても経営の勉強になってしまいました。
経営については書籍やセミナーもありましたが、それらは大企業が学ぶべき内容ばかりで、先にも書きましたが、小さなお店がそれを鵜呑みにすればするほど潰れていくという内容です。ほんの一握りの店長だけが、大企業の成功例から小さなお店に必要なことを抽出できたようですが、それは本当に少数派でした。
そのような状況で、大企業の勉強をしている店長さんのホームページやチラシにも苦労しました、なぜなら、そのお店のお客様に喜んでいただけるような発想が全く出てこないので、打ち合わせで出てくる内容を例えるなら、小さな大型店でした。
そんなやり取りを繰り返す中、小さなお店用の書籍を書きたいと思い始めました。

小さなお店向けの販売促進セミナー開始

セミナーをやってみたいと思いながらも、なかなか行動を起こすことはできませんでした。
そんな時に、当時、日本で一番話題になっていた企業、ライブドア社の中で開かれているライブドア大学があることを知りました。そう、ライブドア社と言えば、これも当時話題の森ビルです、これは行くしかないと思いましたが、どれも高額セミナーばかり、森ビル&ライブドア社見学ツアーとしては10万円単位のセミナーは高すぎです(笑)
数か月後でしょうか、比較的安価なセミナーが登場しました、それでも3万円ぐらいだったと思います。申し込もうと思ったら「セミナー開催のためのセミナー」だったので、これは一石二鳥ということで早速参加しました。
セミナーに参加し1か月後には自主開催のセミナーを企画し、登壇していました。
田舎の小さなお店の店長さんたちに、小さなお店の販売促進を学ぶ機会を自ら作ることができたのです。

ここで大切なのは、自分自身に起こったことでした!
セミナーの必要性を感じてはいたものの、雲の上の話だと思っていた。しかし、一度セミナーに参加したら実現してしまった。
これを、地域の店長さんたちに当てはめて、次のような結果を期待しました。
販売促進の必要性は感じていたものの、雲の上の話だと思っていた。しかし、一度セミナーに参加したら実現してしまった
もう、こんな期待に向けてセミナー活動を進めていくしかないですよね。

小さなお店の店長に向けたビジネス書を出版

先ほど紹介した、ライブドア大学のセミナーで知り合った講師と仲間たちは、出版にも積極的にチャレンジしていきました。
講師である松尾昭仁氏は20冊を超えるビジネス書を出版しましたし、受講生仲間も、全員が出版を果たしました。
全員が著者になったというのは素晴らしいことですが、実は、講師が出版した後に、みんなが次々と出版し、私は一人だけ遅れること3年ぐらい後に、最後の一人だったのです。
おかげさまで、その後も1冊追加出来て、2冊を世に出すことができました。

意外過ぎるかも知れない私のお客様の喜びは

何かにつけて「お客様の喜び」と話している私にも、もちろんお客様がいて、それぞれに喜びがあります。
どのような喜びかわかりますか?

ホームページを作ることが仕事ですが、ホームページを持つことが出来たと喜ぶ人はいません。25年ぐらい前のインターネット創世記にはいらっしゃいましたけれどね。

ホームページやチラシが完成し、販売促進と出会ったことによって生み出された喜びの一部をご紹介します。

仕事直結では・・・
◇自分の行動で売上を作ることが出来た!
◇お店にいることが楽しくなった!
◇好きな仕事を続けられた!

生活や環境では・・・
◇豪邸を建てることができた
◇離婚されないですんだ
◇娘と話をすることができた

え?と思うかもしれませんが、奥様に年内に売上を作らないと離婚すると宣言されてしまった店長さんが、売上をクリアして離婚の危機を免れたなど、それぞれの店長さんの人生にかかわるストーリーがあるものです。

経営難でこの世を去った店長が二人

小さなお店の販売促進にはこのような喜びがある裏側には、残念なこともあります。

一人は、仕事仲間でいろいろ教えてくれていた先輩が、突然、自殺してしまいました。
後にわかりましたが、売上減少から様々な問題が発生していたためでした。

もう一人は、知人から「面倒見てやって」と紹介された起業家さん、チラシなどの作成で打ち合わせさせていただきましたが、見積もりの段階で話が停滞。
その、数日後、知人から連絡があり、お店の中で自害してしまったとのこと。

お二人とも、突っ込んだ事情を相談してくれたことはありませんでした、本当に残念です。

店長にとってお店の成績とは、楽しい人生を過ごしたり、最悪の選択をすることにも繋がるのだと、小さなお店の販売促進の必要性と可能性を強く感じることになりました。

小さなお店の販売促進は店長の人生や生き様

小さなお店の販売促進が生み出す喜びや悲しみは、売上の増減だけではなく、店長の人生そのものであるということ、好きな商品を扱い、お客様と喜びを共有できていれば、本当に楽しいお店になりますし、その楽しさが次々とお客様と喜びを呼び寄せてくれるものです。

販売促進の小手先の技から始まる時もありますが、ただ単に一回儲けられることを目指してはいません、POP一枚が店長の人生や生き様そのものだと考え、小さなお店の販売促進を広めていきたいと活動しています。